2026年3月26日に公開されたキングダム最新話870話「大きな戦略」。
今回はこの話を読んだ感想と考察をまとめてみます。
キングダム870話で判明した、趙を支える李牧の存在
物語は趙の王都「邯鄲」から始まります。
公孫龍が趙王・遷(せん)に、全体の戦況を報告する場面です。
そこで明らかになったのは、ほぼ全ての戦場を李牧が回り、自ら指揮を執ることで趙軍が秦軍を食い止めているという事実でした。
これは裏を返せば、もし李牧が動いていなければ、秦軍が一気に勝利を収めていた可能性すらあるということです。
さすがの筆者もここには驚かされました。
同時に、化け物揃いの趙軍においても、李牧の存在がどれほど大きいか改めてわかりました。
趙王・遷は李牧の危うさも必要性も理解している
そんな李牧の働きを、趙王・遷もきちんと認めている様子でした。
ただ、今回の遷のセリフで特に気になったのが、
「奴が野心家ならこの玉座も一瞬で奴のものとなろう」
「さすれば民も大喜びであろうのォ」
という発言です。
この言葉から見えてくるのは、遷が李牧のことを単なる有能な将軍として見ているわけではない、ということです。
李牧がその気になれば、自分の玉座を脅かすことすらできる。
しかも民衆は、それを歓迎するかもしれない。
つまり遷は、李牧の実力や民望の大きさをかなり正確に理解しているのでしょう。
ただ、今回の遷の感情は単純な恐怖だけではないようにも見えました。
むしろ遷にとって李牧は、自分の立場を脅かしかねない危険な存在であると同時に、その立場を守るためにも絶対に必要な存在なのだと思います。
今の趙は李牧なしでは持ちません。
そして趙が崩れれば、王である遷の立場も終わる。
だからこそ遷は、李牧を警戒しながらも手放せない。
このねじれた関係こそ、今回の邯鄲パートの不気味さだった気がします。
遷は本当に無関心なのか?李牧が死んだら知らせろの意味
さらに気になったのが、この場面の最後の遷の言葉です。
遷は公孫龍に対して、
「もう飽きたから今から宴をやる」
「何かあれば知らせに来い」
「特に李牧が死んだら走って来い」
と笑いながら言ってこの場面が終わります。
一見すると、李牧の死を面白がっているだけの悪趣味な冗談にも見えます。
ですが、今回の会話全体を踏まえると、それだけではない気もしました。
遷は李牧の活躍を聞き、改めてその存在の大きさを理解したはずです。
そして同時に、李牧が死ねば趙も終わるという現実にも気づいているのではないでしょうか。
だからこそ、「李牧が死んだら真っ先に知らせろ」と言った。
宴を開くと言いながらも「何か動きがあれば報告に来い」と念押ししているあたり、遷も本音では戦況をかなり気にしているように見えます。
ここで思い出すのが、848話での遷の言葉です。
あの時遷は、「普通の事が簡単ではない人間もいる」と口にしていました。
そのセリフを踏まえると、遷は国家存亡の危機にあっても、王として自分が何をすべきか分かっていないだけなのかもしれません。
だから本当に興味がないのではなく、何もできないからこそ余裕があるように振る舞っている。
そう考えると、今回の遷の態度もしっくりきます。
前王とは違う?遷は不格好なりに王であろうとしている
とはいえ、遷は前王とは少し違うようにも感じます。
前王なら、本当に何もかもどうでもいいという感じでした。
しかし遷はそうではない。
- 李牧に兵を預ける
- 李牧の実力を認める
- 郭開の思惑もある程度見抜いている
- 戦況そのものも気にしている
少なくとも、完全な無関心ではありません。
もちろん未熟で歪んだ部分は大きいです。
ですが、前王のように完全に投げ出しているわけでもない。
だから遷は、何も分かっていない王というより、分かろうとはしているが、まだ王としての在り方を掴みきれていない王と見た方が自然なのかもしれません。
単なる暗君というより、不格好なりに王であろうとしている人物。
今回の遷には、そんな側面も少し見えました。
蒙恬が見抜いた李牧の防衛構造|各戦場で「秦の将軍vs李牧」になっている?
場面は戦場に戻り、今度は楽華軍にスポットが当たります。
楽華軍は趙軍を押し込んでいましたが、そこで蒙恬は李牧の戦術の本質に気づきます。
李牧は各軍の本陣に入り、趙軍全体を実質一人で指揮している。
さらに、仮にどこか一つの戦線を突破されても、その先にそれを見越した防衛陣を幾重にも敷いているようです。
つまり、ただ一軍で戦線を突破しても意味がない。
その先で絡め取られ、結局は止められてしまう構造になっているのでしょう。
この構図を見る限り、趙の防衛戦略は
秦軍が各軍ごとに独立して攻めてくること
を前提に組まれている可能性が高そうです。
なぜなら、これだけ広域に展開した大軍を、一人でバランスを取りながら指揮できる人間など、李牧くらいしかいないからです。
言い換えれば、今の趙軍は「趙軍全体vs秦軍全体」ではなく、各戦場で「秦の将軍vs李牧」という構図を作ることで均衡を保っているようにも見えます。
ここが今回の870話のかなり重要なポイントだと思いました。
蒙恬の「大きな戦略」とは何か|飛信隊・楽華軍・羌瘣軍を一つにする発想
そこで蒙恬が考えたのが、飛信隊・楽華軍・羌瘣軍を一つの軍として扱うという発想でした。
かつて王翦は、蒙恬のことを李牧と王翦の戦いに割って入るだけの実力があると評価していましたが、今回の一手はその片鱗を見せつける策だったように思います。
李牧の戦略は、秦軍が各軍で別々に動いてくることを前提にしている可能性が高い。
だからこそ李牧は、一つ一つの戦場を回りながら、その都度もっとも危険な場所に介入して均衡を保てるのでしょう。
しかし、もし飛信隊・楽華軍・羌瘣軍が連動し、実質一つの巨大な軍として動いたらどうなるか。
李牧が各個に対応する前に、一気に突破口を開ける可能性があります。
さらに、後方に張り巡らされた防衛陣も、一軍だけなら絡め取れても、三軍が同時に押し寄せればそのまま押し切られる可能性がある。
つまり蒙恬は、単に新しい策を考えたのではなく、李牧の防衛が成立する前提そのものを崩そうとしているのだと思います。
今回のサブタイトルである「大きな戦略」は、戦場全域に及ぶ李牧の防衛構想と、それを崩そうとする蒙恬の対抗策、その両方を指しているのでしょう。
キングダムのサブタイトルは一見シンプルですが、こうして考えると複数の意味が重なっていることが多く、改めてうまいなと感じます。
李牧の狙いは北部軍の南下か|中央圧殺までの大きな流れ
今回の話で、李牧の戦略の大筋もかなり見えてきました。
李牧は各軍を回りながら戦線の均衡を保ち、時間を稼ぐ。
その間に北部軍が王賁を突破して南下し、中央の戦いに加わる。
そして最終的に、圧倒的な戦力差を作り出して一気に中央を攻め落とす。
これが李牧の狙う大きな流れなのでしょう。
つまり今の趙軍の粘りは、単なる持久戦ではなく、北部軍到着までの時間稼ぎでもあるわけです。
李牧の誤算は王賁の粘りか|大戦略の綻びも見え始めた
そして現状、李牧にとっての誤算となっているのが王賁の粘りです。
当初の予定では、今頃北部軍が南下し、中央軍に加わっているはずでした。
李牧の防衛構造は、一人で全体を見て均衡を保つことで成立しています。
だからこそ、どこか一つでも想定外の粘りや誤算が生じると、そのしわ寄せが全体に波及していくはずです。
今のところ、そのズレを生んでいるのが王賁なのではないでしょうか。
もし王賁が李牧の計算以上に踏ん張り続けるなら、李牧が各戦場を回って均衡を保つ前提そのものが崩れ始めるかもしれません。
そうなれば、蒙恬の「三軍を一つとして動かす」構想もより活きてくるはずです。
つまり今回の870話は、
- 李牧の大戦略が明らかになった回
- 同時に、その大戦略の綻びも見え始めた回
とも言えるのかもしれません。
キングダム870話「大きな戦略」感想・考察まとめ
今回はキングダム870話「大きな戦略」の感想と考察をまとめました。
- 趙は李牧一人の超人的な采配によって支えられている
- 遷は李牧を危険視しつつも、絶対に失えない存在として見ている
- ただし遷は前王ほど無関心ではなく、不格好に王であろうとしている
- 蒙恬は李牧の防衛構造そのものを崩そうとしている
- 李牧の最終目標は、北部軍を南下させて中央を圧殺する流れにある
今回の870話は派手な戦闘回ではないものの、今後の趙攻略戦全体を左右する非常に重要な回だったように思えます。
ラストでは、蒙恬が信と羌瘣にその戦術を共有。
いよいよ次回、秦側の「大きな戦略」が本格的に動き出しそうです。
蒙恬の策は本当に李牧を上回るのか。
そして王賁の粘りは、李牧の計算をどこまで狂わせるのか。
今後の展開から目が離せません。

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